今日の聖句6月19日(火)\(^o^)/ わたしのおきてに従って歩むなら、こういう者は自分の父の咎のために死ぬことはなく、必ず生きる。 エゼキエル18:17 あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 1ペテロ1:18-18 **************** 今週のテーマ:地の果てまで きょうの聖書:イザヤ42:1-13 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。 「私たちはみことばを証しする」 イザヤは自分と同世代の人々と、後々の時代の人々に天から降ってくるメシヤつまり救い主とはどういうお方であるかを告げました。今日の聖書でメシヤは「公義をもたらす方」「解放する方」として紹介されています。公義とは永遠の真理であり、その実体は赦しです。そして解放とは罪からの解放です。 キリストの弟子たちはキリストの復活を証言し、復活したキリストによって信じる者に罪の赦しと魂の解放が与えられることを証ししました。キリストは復活を目撃しなかったパウロに対しては「天からの光」として現れてご自分が復活したことを体験的に理解させました。 パウロは「罪の赦しと魂の解放」は人の努力や律法の行いによってではなく、キリストの十字架の死と復活を信じる者に与えられる神様からの恵みであると力説しました。イザヤは救い主を予言するという形で世に知らせ、弟子たちは目撃証言として救い主を証ししたわけです。 私たちは「罪の赦しと魂の解放」という恵みを、イザヤの言葉通りに神様からいただき、弟子たちの証言通りに救いを受けることができたということを証しするわけです。私たちはみことばを信じて救われたことにより、イザヤの言葉と弟子たちの証言は正しかったと聖書のみことばを証しするのです。 祝福を祈ります。