今日の聖句6月9日(土)\(^o^)/ 主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。 1歴代誌28:9 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」 ヨハネ1:48 **************** 今週のテーマ:世に勝つ信仰 きょうの聖書:ヨハネ16:1-11 ヨハネの福音書16章7節 わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。 「益」 十字架はキリストの敗北のしるしだという人がいます。また、十字架で死なずに何時までも人を救い続ければ良かったのにとか、復活したままで昇天しない方が良かったのではないかともいう人がいます。しかし、キリストが罪びとの肉眼で見えることではキリストの働きが大きく制約されてしまうのです。 聖霊という目に見えない神様になってこそ、全世界のすべての人に同時に同じ愛と恵を注ぐことができるのです。それで、十字架で死んで昇天することが弟子たちにとっても益になるのだと教えたわけです。昇天しなければ聖霊が下ることはないと明言されています。 神を愛す人々のために「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という原則は、神様の「愛」という基本方針と同時に永遠の鉄則です。それは、キリストの死にも、キリストの昇天にも、その他の私たちの日常生活のすべてに例外なく当てはまります。 愛する人の死は多くの人に絶望を与え、あるいは消えることのない大きな傷と痛みを遺しますが、神様を愛し、キリストに繋がった人には辛く悲しい出来事が益に変えられるという不思議な恵みが備えられているのです。弟子たちのキリストとの辛い別れは聖霊降臨という大きな出来事によって益に変えられたのです。 祝福を祈ります。