今日の聖句5月19日(土)\(^o^)/ 主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。 詩篇147:3 イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。 ルカ9:11 **************** 今週のテーマ:聖霊の約束 きょうの聖書:ガラテヤ3:13-14 ガラテヤ人への手紙3章13節14節 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 「御霊を受けさせるため」 ここに、イエス・キリストの十字架は私たち罪人に御霊を受けさせるためだと明記されています。キリストの十字架は私のためだったと信じることができる人は明らかに聖霊を受けているのです。それは、キリストの身代わりの死によってその人の罪が消されているからです。 聖霊を受けたい、聖霊に満たされたいという私たちの願望があります。それをかなえさせるのがキリストの十字架です。十字架の恵みは自分の罪に苦しむ人に与えられます。私には罪はないと主張する人にはキリストがいのちを捨ててまで与えようとした聖霊は届きません。 私たちの目には他の人の罪はよく見えますが、自分の罪は見えないものです。自分の罪を自覚するには、イエス・キリストと自分を比べてみる以外に方法はありません。他の人から自分の罪を指摘されるとタダ悔しいだけです。しかし、聖書によって自分の罪を知るとそこから救いの道が開かれてくるのです。 そして、イエス・キリストの十字架が自分の罪を抹消して、自分を神様の御前に神の子として立たせてくださったことを知る時に十字架に現わされた神様の愛を知るのです。罪を消すのも、私たちを神の子とするのも、私たちに神様の愛を知らせるのもすべて聖霊様の御働きです。神様の栄光はキリストの十字架によって現わされているのです。 祝福を祈ります。