今日の聖句5月11日(金)\(^o^)/ 私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。 詩篇75:1 あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。 1ペテロ2:9 **************** 今週のテーマ:キリストの愛の内に きょうの聖書:ヨハネ15:1-11 ヨハネの福音書15章4節5節 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 「キリストにとどまる」 きょうの聖書の中に「とどまる」という言葉が11回出ています。それで広辞苑でその言葉を調べてみました。「とどまる」の主な意味は「動かないこと」とされていました。キリストにとどまるとは、キリストから目も心も動かさないことということです。キリストを仰ぎ見続けるなら愛と信仰のみを結べるのです。 ブドウの枝はブドウの幹に命の関係で着いていなければ実がなるはずはありません。それと同じで、クリスチャンはキリストについていなければ信仰の実も聖霊の実も実らせることができないのは当然です。しかし、今日の聖書ではイエス様は切り離されてしまったかのような枝に向かって幹にくっつけと命じているように聞こえます。 もし、あなた方がブドウの枝であるなら、枝の方から幹にくっついてこいと招いている言葉なのです。私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって神の子として新生したのですが、言い方によってはイエス・キリストに接ぎ木されたものであると言えるのかも知れません。 わたしたちは、祈りによってイエス様に連なり、祈りによってイエス様にとどまることができるのです。祈りによってイエス様の愛を知ることが出来ます。今日もイエス様から目を離さず、イエス様から心を動かさずにイエス様にとどまり続けられるようにお祈りします。 祝福を祈ります。