今日の聖句5月7日(月)\(^o^)/ わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。 箴言3:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。 2コリント13:11 **************** 今週のテーマ:キリストの愛の内に きょうの聖書:1ヨハネ3:1-12 ヨハネの手紙第一3章2節3節 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。 「キリストに似る」 私たちはイエス・キリストの十字架と復活によって既に神の子とされています。「キリストが現れたなら」とありますが、これは第一義的にはキリストが再臨したならという意味です。再臨の時に私たちはイエス・キリストに似たものとして復活できるのです。私たちクリスチャンの最終目的はキリストに似たものとなるということです。 「キリストの現れ」の第二義的意味は、聖霊によって私たちにキリストのお姿が明示されたときということです。祈りと共に聖書を読むとそこにキリストの姿がありありと現されていることがよくわかります。イエス・キリストがどのようなお方で、私たちに何をしてくださったかということが明瞭にわかるということです。 キリストの再臨を待つ望みつつ、聖書の中に現れているキリストのお姿を慕いつつ生活している人はキリストがきよいお方であるようにその人もきよいクリスチャンとして生きていくことができるのです。私たちにとってきよいということは純真ということであり、キリストを愛して一途な信仰に生きるということです。 キリストに注目して、キリストから目を離さず、キリストを愛して、キリストから心を動かさないことです。常にキリストの立ち姿を心に思い描いて、キリストのように生きていこうという気持ちが貴いのです。キリストとの豊かな愛の関係の中で、周囲の人々に笑顔で接していくことが今日の私の目標です。 祝福を祈ります。