今日の聖句4月28日(土)\(^o^)/ わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 エレミヤ31:33 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。 2コリント3:3 ***************** 今週のテーマ:新生の希望 きょうの聖書:1コリント15:50-58 コリント人への手紙第一15章51節52節53節 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 「いのちの提供」 私たちの肉体は有限であり、霊的な世界にあるすべての祝福を受け継ぐことはできません。霊的な世界の祝福、その永遠性を受け継ぐことができるために、肉体的な死が打ち破られる必要がありました。それをまさにキリストがもたらしてくださったのだとパウロは教えています。キリストを信じる時、その復活のいのちが私たちの存在を覆うのです。 その復活の力は、今、生きている間でも、希望を与える土台になっているので、大いに私たちの益になるのです。肉体は死んでも、そのまま、霊的な世界に引き継がれていく確証をキリストの復活はもたらしてくれるのです。死と罪の力に縛られていた私たちが神の愛の世界で生きられるようになったということが、そのことを物語っています。 朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。罪と死との関連性は聖書の中心的な主張です。一人の人の罪によって、全世界に死がもたらされたという考えです。でも、その逆のことを神さまは実行してくださいました。 アダムに結ばれているなら、つまり、キリストとの関係を無視し続けているなら、その人はアダムからもたらされた死の支配の中にいることになるのですが、キリストを信頼し、キリストにに属しているなら、復活のいのちの中に置かれているので、死はもはや支配力を失っているのだというのです。肉体的にはすべての人が死を経験するのですが、キリストのいのちはそれを超えて私たちを覆っているのです。「いのちの提供」こそ、神の最大の祝福です。 祝福を祈ります。