今日の聖句4月24日(火)\(^o^)/ 主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。 詩篇36:5 あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── エペソ2:4-5 ****************** 今週のテーマ:新生の希望 きょうの聖書:ローマ6:1-14 ローマ人への手紙6章10節11節 キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。 「きよめのキーワード」 パウロは、キリストは罪に対して死に、神に対して生きていると言っています。これは、私たちがきよめられたクリスチャンとして生きる上で鍵になる言葉です。罪というものは死んだ人には何の力も影響も与えることができません。私たちは神様に対して生きる時に神の子として生きられるからです。 キリストの十字架での死は、私たちの身代わりの神様からの刑罰だった教えられています。もう一つ、キリストの身代わりに死んだということは、私たちも罪に対して死んだということになるのです。罪の力とか罪の影響は人を迷わせ、人の心を信仰から遠ざけますが、罪に対して死んだ者にはそれが無くなるのです。 ですからパウロは「あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」と熱弁をふるっているわけです。「思いなさい」とは、そのように決定してしまいなさいという意味です。このような場面では私たちの決断が必要なのです。 私もきよめを求めて長らく迷いの中にありましたが、このキーワードに出あって、「そうか、十字架で死んだのはイエス様だけではなく、自分も罪に対して死んでいたのか」と納得して、罪に振り回されるのではなく、聖霊に導かれて神様に対して生きていこうという気持ちになれました。ここにキリストの大きな足跡があるのです。 祝福を祈ります。