今日の聖句4月20日(金)\(^o^)/ 実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。 1列王記8:27 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 1ヨハネ4:12 ******************** 今週のテーマ:あがない きょうの聖書:イザヤ43:1-7 イザヤ書43章1節2節3節 イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。・・・」 「大切な存在」 イザヤはユダヤがバビロンの捕囚とされる100年ほど前にエルサレムで活動した預言者でした。イザヤの召天後、およそ170年でにユダヤはバビロンから解放されてエルサレムに帰還します。偶像礼拝を厳しく裁いた神様でしたが、それ以上に大きな愛を注いでユダヤをあがない、神の選民として養い育てます。 神様にとっては、ご自分で選び、アブラハム、モーセ、ダビデという素晴らしいリーダーを立てて、創り上げてきたイスラエルは何ものにも代えられない貴重な存在となっているのです。神様イスラエルをご自分に属すものとして大切にしています。ですから大きな犠牲を払ってあがなうのです。 日本でも、たとえ火の中、水の中という表現があります。ニュアンスは違いますが、神様がどのような状況の中でもイスラエルと共にいてご自分の民を守り続けていることを私たちは歴史の事実と聖書の記録から知ることができています。神様はこれからもイスラエルを守り続けるのです。 私たちクリスチャンも神様に属すものです。私たちも困難という名の川を渡らなければなりません。自力で泳いで溺れるか、神様の助けを得て成長・成熟するかのどちらかです。信仰の実質は、神様がご自分の民を守り通すということへの信頼です。私たちの今日の一日の生活の中にも神様は臨在して私たちを助け導いてくださいます。 祝福を祈ります。