今日の聖句4月16日(月)\(^o^)/ 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。 箴言5:21 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。 ヨハネ10:14 ****************** 今週のテーマ:あがない きょうの聖書:へブル7:26-28 へブル人への手紙7章27節28節 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。 「永遠の大祭司」 旧約聖書のレビ記に牛などの動物を犠牲にする礼拝の捧げ方が詳しく説明されています。 祭司以外はこの礼拝をしてはいけないと禁じられています、そして、大祭司は一年に一度、自分と国民の罪を贖うために至聖所という礼拝場所に入って贖いのための礼拝をすることが義務付けられています。イエス様が永遠の大祭司なのです。 大祭司といえども普通の人間ですから罪を犯すことがあります。しかし、キリストは一度も罪を犯したことのない全きお方ですから私たちのために完全なあがないをすることができたのです。しかも、ほかの動物を代用することなく自分自身の身体を犠牲にされ、一度限りの永遠のあがないを成し遂げてくださいました。 キリストがただ一度すべての罪のために死なれたので犠牲の制度は不要になっています。キリストは過去、現在そして未来の罪まですべて赦してくださったのです。私たちは罪の赦しを得るために他の方法を探し求める必要はないのです。キリストが最終の犠牲になられたからです。 イエス様のあがないは完全無欠なので、私たちが何かをつけ足したり、あるいはイエス様のあがないに磨きをかけるなどは全く無用です。私たちがあがなわれ、救われるためには、ただイエス様を信じて、あがなわれた事実を受け取るだけです。自分には何々が足りないからまだあがなわれていないと言ってあがなわれたことを拒否してはならないということです。 祝福を祈ります。