今日の聖句4月9日(月)\(^o^)/ 主は正義を行われる。しかし、私は主の命令に逆らった。 哀歌1:18 イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。 ヘブル13:21 ******************** 今週のテーマ:悔い改めへの招き きょうの聖書:ルカ13:1-5 ルカの福音書13章4節5節 シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。 「事故と罪」 シロアムの塔の事故は不慮の偶発事故だったと思われます。「シロアム」とは、「遣わされた者」という意味です。ヒゼキヤ王がギホンの泉からシロアムの池に水を引いてきたという記録が旧約聖書にあります。(U列王記20:20)このシロアムの池を外敵から守る為に、シロアムの塔がシロアムの池の北に出来たのです。 たまたま、塔の側にいた人々18人が、偶然、災難にあったという事故だったのです。18人は、災難にあったので、誰よりも罪深い人といううわさがたっていたようです。このシロアムの塔の事故の犠牲者を誰よりも罪深い人々と考えた世間の人々の何の根拠もないうわさ話をイエス様は否定されました。 むしろ、全ての人々が事故に遭い、突然の事故で死んでしまう事もあるので、人生でまず第一にすべき事は、自らの罪を認め、神への悔い改めをする事であるとイエス様は言われるのです。確かに、私達は事件、事故でもいろいろ理由や原因をさぐります。答えを合わせられなかったとしてもその答えを捜そうとします。 しかし、それは全く無駄な事なのです。事故や事件は、私達の教訓的価値はありますがそれ以上のものはないのです。事件、事故に遭った場合、自分の魂を主に全て委ねておく「悔い改め」という備えが大切です。もし生きていた場合、その苦しみ、痛みを乗り越える力を主はきっと「悔い改めた」人に与えて、それをバネにして、なお人生を豊かにしてくれ、その苦しみの最中の人にも慰めを与えられるのです。 祝福を祈ります。