今日の聖句4月8日(日)\(^o^)/ ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。 創世記21:17-18 事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。 ローマ9:16 ****************** 今週のテーマ:悔い改めへの招き きょうの聖書:詩篇32:1-11 詩篇32篇1節〜4節 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。 「悔い改め」 今週のテーマは「悔い改めへの招き」ですが、キリストの復活から50日目のペンテコステの日に聖霊が下って、ペテロが説教をしたときエルサレム在住の祭司を中心にして大きな悔い改めのうねりが起こり、3000人以上の人が弟子の群れに加わったことが使徒の働きに記録されています。 詩篇32篇は罪を悔い改めて神様の赦しを受けた人の幸いと、自分の罪を告白しなかった人の苦しみが述べられています。ダビデも罪を犯した後、悔い改めずにいたときは罪の重荷に苦しんだのですが、予言者ナタンによって罪を指摘され、悔い改めた後は再び神様の祝福を受けられるようになったのです。 私たちの日々の生活の中で時々争いが起こることがあります。物の奪い合いであったり、悪口雑言の応酬であったりします。自分の名誉を守るために大きな争いを起こしてしまうこともあります。それらの争いの中心には「私は正しい」「相手が間違っている」「自分が謝る必要はない」というような思いがあります。 ダビデも自分は正しいと思っていた時は悔い改めませんでした。そのその結果苦しんだのです。自分の非を認めて神様に悔い改め、争った相手に謝罪するときに、私たちの心に安らぎが生まれるのです。「不愉快だ」と感じる時は悔い改めの機会です。罪がなければ不愉快にはならないからです。 祝福を祈ります。