今日の聖句3月30日(金)\(^o^)/受難日 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。 出エジプト14:21 死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 ローマ8:38-39 ***************** 今週のテーマ:十字架への道 きょうの聖書:マタイ27:11-56 マタイの福音書27章45節46節 十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 「イエス様の死」 神様に見捨てられたということはイエス様の「死」に際して父なる神様がイエス様の父 また味方という立場から、イエス様の敵の立場に移られたということです。神様がイエ ス様の慈父ではなく、罪びとを裁く審判者になられたということです。それは私たちのためです。 イエス様が「死」によって罪びとの罪を償ってくださるということは、罪びとたちが立 たされる神の裁きの座に、私たち罪びとに代わって立ってくださるということです。神様の一人子であるイエス様が愛と信頼に満ちた父子関係から離れて、義なる審判者と、罰せられる罪びとという関係になっているのです。それが見捨てられたという言葉で表されたのです。 このイエス・キリストの死こそ旧約聖書にある犠牲の儀式による贖罪の成就であり、私たち罪びとはイエス・キリストによる贖いにより、創造主である神様を父なる神様と呼んで近づくことができるわけです。和解の成就であり、良好な関係の回復、親愛な交わりの誕生とも言えるのでしょう。 イエス様はご自分が父なる神様から捨てられて、犠牲儀式を廃止し、ユダヤ人と異邦人の隔ての中垣を取り除き、この世とあの世との間に立ちはだかっていた死の門も排除されました。ですから私たちもイエス様を見てこのお方こそ全人類の救い主だと褒め称えているのです。今日は受難日です。 祝福を祈ります。