今日の聖句3月26日(月)\(^o^)/ 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。 詩篇96:2 そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。 マルコ14:26 ******************** 今週のテーマ:十字架への道 きょうの聖書:マタイ21:18-27 マタイの福音書21章18節19節 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。 「信仰の実」 これは、シュロの日曜日の翌朝のことです。旧約聖書でイチジクとブドウは選民イスラエルを象徴する木として扱われています。イスラエル人もクリスチャンもすべて人間は実を結んでいかなければならない存在です。イエス様は実を実らせないイチジクの木を枯れさせました。それは、「実」のない形式的な神殿礼拝をし、真の神であるキリストを否定したユダヤ教を滅ぼすことの予表となりました。 「彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう」(ローマ11:20-21 )とパウロは書きました。私たちクリスチャンも傲慢不遜にして実を結ばないならば枯れたイチジクと同じ道を辿ることになります。 信仰の「実」とは第一に悔い改めの「実」です。神様と和解し、イエス・キリストと極上の関係で生きることができるようになることです。他人との和解、家族隣人と良好な関係を回復し、自然環境と調和し、自分自身との関係も回復し、対立も矛盾もない姿になることです。それが救いです。 もう一つの「実」は信仰の成熟といえます。「果実」は熟していくものです。成熟した信仰者は他人の成長を喜び、他人の成長に仕えます。イエス様は私たちの成長をこよなく喜び、私たちの成長を促し、命がけで私たちを成熟させようとしています。私たちの結実と成熟の目標はイエス様です。結実の道を妨げる山はお祈りしてイエス様に取りのけて頂きましょう。イエス様は信じるものに実を結ばせてくださいます。 祝福を祈ります。