今日の聖句3月24日(土)\(^o^)/ 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。 2歴代誌16:9 ひとりの罪深い女が・・・泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。 ルカ7:38 ****************** 今週のテーマ:試練の道 きょうの聖書:ヤコブ1:12-16 ヤコブ1章12節13節 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。 「いのちの冠」 試練に耐え抜いた人の幸いと、誘惑に負けたことを神様のせいにしてはならないことが教えられています。試練と誘惑はすべての人の人生につきものです。試練を受けない人はこの世に一人もいません。楽な人生などないのです。自分の一生を善良な生活で貫くことができたらそれが試練に耐え抜いたとことになるのです。試練は人を成長させる神様の恵みです。 誘惑に負けるとは、罪の世界に落ちるということです。多くの人が自分の悪い欲望に誘われて罪を犯してしまいます。私も罪の泥沼に陥っていましたが、イエス様の恵みと御父の大きな愛によって救い出されて、神様によって造られた人として平安の中で生きられるようになりました。再び堕落することはまっぴら御免です。 「神によって誘惑された、と言ってはいけません」と言われています。あからさまに神様に誘惑されたという人はいませんが、親や先祖のせいにしたり、社会や政治のせいにする人は大勢います。結構多い言い訳は友達のせいにすることです。試練に負けることや罪を犯すことの責任は本人にあります。 自分の人生を充実した善い人生にするためには、自分で責任を持たなければならないのです。その責任を私たちと一緒に背負ってくださる方、それが私たちの救い主イエス・キリストです。試練を克服したその先にはイエス様によって「いのちの冠」が備えられています。いのちの冠は神様を愛し、他の人々を愛して生きる大きな愛の人生です。 祝福を祈ります。