今日の聖句3月12日(月)\(^o^)/ 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。 詩篇40:2 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。 ヨハネ5:25 ********************* 今週のテーマ:雲の柱・火の柱 きょうの聖書:ネヘミヤ9:9-21 ネヘミヤ書9章19節20節 あなたは、大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼間は雲の柱が彼らから離れないで、道中、彼らを導き、夜には火の柱が彼らの行くべき道を照らしました。あなたは、彼らに悟らせようと、あなたのいつくしみ深い霊を賜り、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには、彼らに水を与えられました。 「慈しみと憐れみの神」 雲の柱、火の柱としてイスラエルの民に同行して荒野の旅を続けた神様は「慈しみと憐れみの神」としてのお姿を現していました。これは新約聖書で言うキリストの「愛と恵の神」に匹敵することばです。大罪を犯した民を見捨てることなく、飢えと渇きにさいなまれる民に食べ物と飲み水を与え続けたのです。 イスラエルがこの旅のなかで犯した大罪の最初はモーセがシナイ山で神様に祈っていたとき、モーセの兄であるアロンが民と共に金で「牛の偶像」を鋳造してこれを神として拝み、更にその偶像の前でドンチャン騒ぎをしたことです。この時、モーセはレビ人に命じて、その騒ぎに加わった者達をすべて死刑にしました。 もう一つの事件は「ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとした」ということです。神様の救いのご計画を理解せず、エジプトで奴隷にされていたときの方が良かったと言って騒ぎを起こしたのですが、神様の裁きは当事者の中だけに留められました。これは洗礼を受けた後、再び偶像京都に戻ろうという人に匹敵します。 出エジプトの長い旅の中で、繰り返し、繰り返し、反抗し、反逆する民に対して神様は寛大な態度をとり続けていたのです。罪深い私たちに対してもイエス様は寛大な態度で私たちを守り続け、私たちに十字架による赦しを与え続けていてくださいます。私たちはよくよく謙って神様のご指導に従う道に進まなければならないことを教えられます。 祝福を祈ります。