今日の聖句3月5日(月)\(^o^)/ その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。 アモス8:11 主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。 ヨハネ6:68 ********************* 今週のテーマ:荒野の道 きょうの聖書:申命記8:1-10 申命記8章3節4節 主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。 「マナ」 エジプトを脱出した後のイスラエルの砂漠の旅は過酷を極めました。その厳しい旅の中でイスラエルは、万物は創造者である神様の御手の中にあり、すべての生きもののいのちは神様によって保たれており、支配されているということを学びました。若いときは、生かされているという気持ちにはなれないものです。 マナという食べ物はとても不思議な食べ物でした。イスラエルがシンの荒野で飢えた時、神様がモーセの祈りに応じて天から降らせました。この時人々は「これは何だろう」と言い、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。 この度の期間中このマナで命が保たれたのです。 砂漠を40年間歩いて衣服がすり切れず、足も傷つかなかったとは神様の保護がどれだけ素晴らしいものであり完全なものであったかがうかがえます。今も神様は荒野でイスラエルを守ったように私たちを守り続けていてくださるのです。このことを心と肌で感じることが大事です。 荒野の旅は神様がイスラエルを訓練するために備えられていました。親が自分の子どもを教育するように神様はイスラエルを教育したのだと言われています。訓練というものはその時は辛く苦しいものですが、訓練なくしては成長も成熟もありません。アスリート達は血と涙の訓練の結果でメダルを獲得したのです。 祝福を祈ります。