今日の聖句3月2日(金)\(^o^)/ 神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。 ダニエル 2:22 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。 ヨハネ12:46 ******************* 今週のテーマ:しもべの道 きょうの聖書:ヨハネ13:12-20 ヨハネの福音書13章14節15節 主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。 「互いに足を洗い合え」 イエス様が与えてくださった模範は、謙ることと、愛すことです。現実に足を洗うだけでは、謙ることにも、愛すことにもなりません。一年に一度、洗足木曜日に目上の人が目下の者の足を洗えば、洗っている方が身分が上だということは一目瞭然です。場合によっては牧師が信者さんの足を洗えば、芝居としか思われません。 13章4節に「上着を脱ぎ」とありますが、これは上着を全部脱いだという言い方です。イエス様は上半身素っ裸になって、まさに奴隷の姿になって弟子たちの足を洗ったのです。主(あるじ)の汚れを全部引っ被る奴隷の姿勢です。それは芝居ではありませんでした。十字架上で弟子たちと私たちの全ての罪を被って死んだのです。謙りの極みです。 13章1節に「イエスは、その愛を残るところなく示された。」と記録されています。天地の造り主であり、永遠の救い主であるイエス様がお持ちになっている愛の全てを実行されたのが、十字架の贖いであり、それを予表するのがこの洗足儀式です。あなたの足の汚れは、私の足の汚れです。あなたの罪は私の罪です。そのように極限まで、いいえ、極限を超えてイエス様は私たちに愛を示してくださったのです。愛の極みです。 その上で、「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」と訴えておられます。現実の意味で、私たちが謙る相手は、家族であり、教会の兄弟姉妹です。私たちが愛す相手は家族であり、教会の兄弟姉妹です。私はイエス様に対して謙っているからこのままで良いという詭弁は通用しません。 祝福を祈ります。