今日の聖句2月4日(日)\(^o^)/ 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。 イザヤ40:1 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 ルカ19:10 ***************** 今週のテーマ:回心 きょうの聖書:ガラテヤ2:15-21 ガラテヤ人への手紙2章20節 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 「御子を信じる信仰」 ガラテヤ人への手紙の中で良く知られている言葉だと思います。自分の努力や頑張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考えは間違っているとパウロは力説しています。その方法ではだれひとり神様を満足させることができず、誰も「義とされない」のです。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったことを信じることで神様の救いが私たちに届くのです。キリストの十字架の出来事と自分自身を合致させ、そこで自分も神様からの裁きをキリストと一緒に受けたのだと信じることで、よみがえられたキリストが私のうちに生き、救いが恵みとして届くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって神の救いを得るという考えには無理があるのだとパウロは語るのです。後の章に紹介されているのですが、律法は私たちが自分では完全に実行し尽くすことができず、救い主を必要とすることをわからせる意味をもっているのです。 キリストが十字架にかけられた時、私も一緒に律法によって断罪され一緒に神の裁きを受け、死を通過し、キリストのよみがえりの命の中で一緒に生かしてもらえるようにされたと信じるのです。これ以外に人間の罪を解決する手段はありません。唯一の救いです。 祝福を祈ります。