今日の聖句2月1日(木)\(^o^)/ 主がかわいた地を通らせたときも、彼らは渇かなかった。主は彼らのために岩から水を流れ出させ、岩を裂いて水をほとばしり出させた。 イザヤ48:21 渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 黙示録22:17 **************** 今週のテーマ:分かち合う喜び きょうの聖書:1コリント11:17-22 コリント人への手紙第一11章21節22節 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。 「祝福を願う心」 現在でも多くの教会で、礼拝の後の食事会をしている教会があると思います。愛餐会とよばれるものです。当時、教会ではそこに集まり実際に食事をした後で聖餐の時が持たれたようです。しかし、コリントの教会ではそれが問題の種になっていました。 そこに集まった人たちがそれぞれ、勝手に食事をしてしまい、分裂(18節)が起こったり、貧しい人たちに食事がまわらないことなどがあったからです。しかも食べてしまった人は、明らかに食べ過ぎており、酔っ払ってしまっている人もいる始末だったのです。パウロは、教会におけるこういうこと自体を憂慮してコメントしています。 仲間割れ、自分勝手な食事マナー、人のことを顧みず、配慮が足りない態度などが指摘されています。これは、教会の問題というより、どのような集団であれ、明らかに問題となるものばかりです。 「他の人への配慮の不足」は特に、その集団に慣れている人たち、どちらかと言えば、会を支えているように見える中心的な人たちの中に起こりやすい現象かもしれません。教会を「不遜な人たち」の集まりのように感じさせてしまうことになりかねません。お互いの祝福を願う心を失ってはならないのです。 祝福を祈ります。