今日の聖句1月30日(火)\(^o^)/ 神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。 詩篇67:7 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。 エペソ3:18-19 **************** 今週のテーマ:分かち合う喜び きょうの聖書:2コリント8:8-15 コリント人への手紙第二8章9節10節 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行っただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです。 「支援献金」 パウロはコリントの人たちの信仰、ことば、知識、熱心などについて実に豊かなものだと語り、だからこそ、慈善のわざ、すなわちエルサレムにある教会の人たちへの支援献金について積極的に参加すべきことを勧めています。献金できるということはとても幸いであり、感謝なことです。 エルサレムの教会の存在があってこそ、福音が広がっていったということがあるので彼らにすれば、その仲間たちを支援することはまさに主の働きを支援することと理解することができたのかもしれません。献金には祈りと信仰と奉仕が込められているからです。 パウロはここでイエス・キリストが地上に人として来てくださった出来事や十字架の出来事を取り上げ、主は私たちを豊かにするために貧しくなられたと教えています。誰かが私たちを豊かにするために、貧しくなっているのです。私たちの手持ちが減ればその分誰かが助かるのです。 クリスチャンの信仰生活とは「支援的に生きる」という姿が基本です。支援の対義語を考えてみるとゾッとします。私たちはかつては、そのゾッとする世界に生きていたのですが今は恵みの中で相互支援によって生きているのです。キリストの生き方に学んでいくならば私たちの前途が途切れることはありません。 祝福を祈ります。