今日の聖句1月27日(土)\(^o^)/ まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 詩篇23:6 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 ヨハネ5:24 ***************** 今週のテーマ:真の富 きょうの聖書:ピリピ4:10-20 ピリピ人への手紙4章10節11節 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 「贈り物」 パウロはピリピの人たちからの贈り物を受け取り、心から感謝しています。物が欲しいからではないことを強調し、自分は神によってどんな境遇の中ででも生きられるように強められ、守られていることを証ししています。彼らの贈り物は、神が喜んで受けてくださる神に喜ばれる「いけにえ」(18)として高く評価しています。 人への贈り物は、案外難しいものです。相手がどういう気持ちでそれを受け取るのかわからないからです。欲しがっているからあげるのではなく、感謝されたいから提供するのでもなく、神に促され、神へのささげもののつもりで提供できないと、後味の悪いものになりかねません。 提供した品物への評価や、提供した自分についての評価で一喜一憂することなく、 神様からの促しを認め、神様への捧げものとして感謝とともに提供させてもられば提供者としては満足度が高くなります。しかし、物を提供したからそれで満足というものでもありません。人は物でなど満足することはないからです。 人に何かを提供する時には、自己満足のためではなく、神への礼拝の心で捧げものをするべきなのです。イエス様は施しについては、右の手でしていることを左の手に知らせるなと教えました。パウロは、心からの感謝を表明し、神への捧げものとして理解しています。 祝福を祈ります。