今日の聖句11月30日(木) あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。 出エジプト33:17 おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。 ルカ1:28 ************************* 今週のテーマ:目をさまして きょうの聖書:1テサロニケ5:1-11 テサロニケ人への手紙第一5章8節9節 私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 「赦しと慎み」 パウロは非常に熱心にキリストの再臨を待っていました。永遠の救いは再臨にあるからです。そして、テサロニケ教会にも再臨を待つクリスチャンの心構えを教えています。その内容は互いに愛し合いつつ慎み深く生きるというものです。私たちクリスチャンの信仰の前途にあるのは神様の怒りや滅びではないのです。 しかし、神様の罪に対する裁きは必ず下されます。私たちは神様の存在を否定する事を悔い改め、キリストの愛を拒絶することを止めて、イエス・キリストの恵と御父の愛の光りの中で生きています。互いに愛し合い、互いに赦し合う生活が如何に素晴らしいものであるかを日々味わっているのです。 これは一例ですが、日馬富士問題が起っています。日馬富士は善良な力士として有名でした。ところがこの人は、突然、慎み深くあることを忘れてしまったようです。後輩の貴の岩に向かって大けがを負わせるほどの暴力を振るってしまったのです。貴の岩はマナーが悪く、日馬富士の忠告を無視したらしいのですが、大きく脱線してしまったのは日馬富士でした。 横綱の地位を失うばかりか、大相撲に関わって生きていく道も失われそうです。牧師でもクリスチャンでも、赦しという言葉を忘れ、慎みという言葉を忘れると、その他の良い面がどれほど積み上げられていても大きなとがめを受けることになるのです。相手を否定するのではなく、互いに徳を高め合うことが大事なのです。 祝福を祈ります。