今日の聖句11月27日(月)\(^o^)/ 地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。 1サムエル2:8 神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 ヘブル1:2-3 ********************* 今週のテーマ:目をさまして きょうの聖書:マタイ25:1-13 マタイの福音書25章1節〜4節 天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。 「灯油」 再臨に備えて目覚めている人の特徴の一つは賢さです。眠りこけている人は愚かと言われます。24章45節で忠実なしもべは、その思慮深さが褒められています。この譬えで賢さ、思慮深さが現れるのは夜中に花婿が到着したとき、出迎える用意ができていたということです。準備が整って入れは居眠りしてもすぐに対応できるというものです。 用意していたという内容は「賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた」という思慮深い賢さです。花婿の到着が遅れようが、真っ暗な夜中になろうが、何時でも出迎えられるように予備の油を確保していたという点です。油の有無が天地の分かれ目になることを理解していた賢さです。不足した場合に備えて別の容器を用意したほどの思慮深さです。 ともしびはあかりです。花婿を出迎える者が持ちます。花婿はあかりを持っている人と婚宴会場に入ります。あかりは見物人と当事者を区別する物です。信者と未信者を区別する物で、洗礼や教会生活など外部からでも見える部分です。様々なものを識別するのに欠かせません。私たちはみことばの光によって物事を見分けています。 聖書は油を聖霊の代名詞にしています。賢いクリスチャンはあかりである教会生活を油である聖霊によって意義深いものにし、たとえ再臨が遅れても信仰と希望と愛を持ち続ける忍耐を失いません。私たちも常に聖霊の補充を受け『そら、花婿だ。迎えに出よ』という声に対応できるように賢く備えておく必要があるのです。聖霊を受けることとキリストを信じることとは同意義です。 祝福を祈ります。