今日の聖句10月30日(月)\(^o^)/ わたしはおまえたちのところに、昔のように人を住まわせる。いや、以前よりも栄えさせる。このとき、おまえたちは、わたしが主であることを知ろう。 エゼキエル36:11 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 ローマ8:32 ************************* 今週のテーマ:信仰の先達 きょうの聖書:出エジプト3:1-12 出エジプト記3章11節12節 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」 「人の弱さと、神様の命令」 モーセはエジプトでレビ族の男子として生まれましたが、エジプトのパロ王からイスラエル人の男子は皆殺しにせよという命令が出ていたため、バスケットに入れられてナイル川に流されました。しかし、川で水浴びをしていたパロ王の娘に拾われて王女の子である王子として育てられました。 成長したモーセはエジプト軍の将軍として近隣に兵を進めて負け知らずの戦果を上げていました。そんな中で、イスラエル人をいたぶるエジプト人を殴り殺してしまうという罪を犯しました。それをイスラエル人に目撃されてミデアンの地へ逃亡したのです。ミデアンで羊飼いとして働いていたときに神様からの召しが掛かりました。 モーセは罪の負い目があり、吃音でもあったようで、神様の召しを受ける気にはなれませんでした。それで、「私はいったい何者なのでしょう」と言って神様のご命令を断ってしまったのです。しかし、神様は「わたしはあなたとともにいる」と言ってモーセをイスラエルの出エジプトのリーダーとして用いようとされています。 神様は不思議にも大罪を犯した人や、身体的に不自由な面を持つ人物をご自分の計画遂行のために用いられます。私たちは神様の御用を命じられるとき、断ったり、尻込みをしますが、神様はあえて、弱い人、無力な人を選んで奉仕をさせ、神様ご自身が神様ご自身の力で人々に救いを与えているのだと理解させるのです。私たちの弱さは御用を断る理由にはならないのです。 祝福を祈ります。