今日の聖句10月29日(日)\(^o^)/ 主は群れを追っていた私をとり、主は私に仰せられた。「行って、わたしの民イスラエルに預言せよ」と。 アモス7:15 預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。 1コリント14:3 ************************** 今週のテーマ:信仰の先達 きょうの聖書:ローマ5:1-11 ローマ人への手紙5章2節〜5節 私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 「人生には無駄がない」 パウロは「罪の赦しと神との平和を得る」という祝福を喜ぶばかりでなく、「患難」さえも喜んでいると書いています。それは神様に寄り添われながらの「患難」はそれだけで終わるものではなく、患難が忍耐を生み、忍耐が練られた品性を生み、練られた品性が希望を生むという連鎖がもたらされることを深く経験して理解しているからです。 患難がそれだけで終わらず、結果的に自分を練り上げるための重要な役割を果たすという確信は、聖霊によって神の愛が心に常に注がれていることを知っていることによってもたらされるとパウロは語ります。 神様の愛が常に心に注がれ続けているので、苦難の時も、順調の時も、その愛に支えられ、希望を持つことができるのだというわけです。苦しみの中で神様の愛は私たちを支え、忍耐につながる歩みを開き、それが成熟へとつながり、更に希望へと道をひらくものとなるのです。 よく、人生には無駄がない、と言いますが、その根拠はここにあります。圧倒的な神様の愛による支えがあるので、前向きに進むことが可能になるのです。そしてそれは信仰によって「確信」していく必要があります。私たちの人生では「神様に愛され、神様に知られている」ことが何より大事なことなのです。 祝福を祈ります。