今日の聖句10月20日(金) 男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。 創世記5:2 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 創世記12:10 ************************* 今週のテーマ:回心 きょうの聖書:ルカ18:35-43 ルカの福音書18章41節42節43節 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。 「目が見える」 イエス様一行が死海の北端に近いエリコに近づいたときに、一人の盲人が、「大声で、ダビデの子のイエス様。私をあわれんでください」と言いました。弟子たちは黙らせようとしましたが、イエス様は立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられました。 ダビデの子という言葉には「救い主」という意味が込められています。救い主はダビデの子孫から生まれると予言されていたからです。この盲人はイエス様が救い主であると信じて、目が見えるようになることを求めたのです。イエス様はこの人の信仰を高く評価し、目を見えるようにしてくださいました。 回心とは、神様を信じていなかった人が、神様を信じるようになることであり、イエス様を救い主と認めなかった人が、イエス様を救い主として信じるようになることです。イエス様はヨハネ伝の中で「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです」と明言しています。 ですから、キリストを信じた人は、信じたその時点で罪が消滅しているのです。救い主を信頼する信仰はとても値打ちの高いことなのです。イエス様はご自分の十字架と復活によって、私たちの心を御父に向けさせてくださいました。私たちが神様を信頼することは、イエス様のいのちの値に匹敵しているのです。目が見えるとは、神様が見えるということです。 祝福を祈ります。