今日の聖句9月27日(水)\(^o^)/ 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。 伝道者3:14 聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない。 黙示録3:7 ************************* 今週のテーマ:とりなし きょうの聖書:ネヘミヤ1:1-11 ネヘミヤ記1章10節11節 これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。 「ネヘミヤのとりなし」 ネヘミヤはBC586年にエルサレムが陥落したあとバビロンに移され、ユダヤ捕囚民の一人となりました。その後BC539年ペルシヤによってバビロニヤが滅ぼされ、捕囚民のエルサレムへの帰還が許されましたが、一部のユダヤ人は優遇され、ネヘミヤも、アケメネス朝ペルシヤのアルタクセルクセス1世の献酌官という地位に就いていました。 ある日エルサレムから尋ねて来た親戚の「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです」(ネヘミヤ1:3) という話に心を痛めました。 そしてエルサレムの回復を憐れみを求めて祈った祈りがきょうの聖書の5節から11節です。アブラハムもモーセもネヘミヤも、そして新約聖書の中ではパウロも熱心にイスラエルの回復と救いを求めて祈りました。そして、それらの祈りはことごとく神様によって聞かれ叶えられています。 私たちは自分の隣人のためにとりなすのと同時に並行してイスラエルの回復を祈り続けています。それは、神様がエルサレムにおいて崇められ、エルサレムに於いて御名が賛美されることを望んでおられるからです。神様は他の人のために愛と真実を持って祈る人を求めておられます。お互いのために祝福を祈りましょう。