今日の聖句9月24日(日)\(^o^)/ 私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。 申命記30:19 わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。 ヨハネ10:10 ************************ 今週のテーマ:とりなし きょうの聖書:創世記18:22-33 創世記18章23節24節 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。 「代わりの祷り」 アブラハムがカナンのマムレに住んでいたとき、三人の御使いが現われて、アブラハムの相続人として、妻であるサラに男子が産まれると予告しました。神様はご自分がなさろうとすることはアブラハムには隠さないのだと言います。そして、ソドムの罪は極めて重いので実態を見に来たと告げました。 それを聞いたアブラハムは、ソドムに50人の正しい者がいるかも知れません。その50人の正しい者のためにその町をお赦しにはならないのですか、と願い出たのです。御使いは、「その人たちのために、その町全部を赦そう」と答え、次いで、アブラハムは40人ならどうですか。30人ならどうですか。最後には10人ならどうですかと問い続けけました。 御使いは、「滅ぼすまい。その十人のために」と答えて去って行き、アブラハムは自分の家へ帰って行ったということです。これが祷告と呼ばれる執成しの祈りの原点です。祷告とは、滅びに向かっている人々のために神様に執成し祈ることです。他人のために代りに祈るので「代わりの祈祷」です。代祷もしくは代祷告とも言われました。 「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される」(18:18)と言われています。アブラハムはこの執成しの祈りによってすべての国々を祝福する存在になっていったのです。執成し祈ることは永遠のいのちを与えられ、天の御国の国籍を授かった私たちに与えられた使命でもあります。 祝福を祈ります。