今日の聖句9月9日(土)\(^o^)/ あなたの熱心と、力あるみわざは、どこにあるのでしょう。 イザヤ63:15 わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。 ルカ12:50 ************************ 今週のテーマ:真の知恵 きょうの聖書:ヨブ9:1-12 ヨブ記9章2節3節4節 どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか。たとい神と言い争おうと思っても、千に一つも答えられまい。神は心に知恵のある方、力の強い方。神に身をこわくして、だれがそのままで済むだろうか。 「キリストの十字架」 ヨブは大きな試練の中にあります。友人のビルダテは「神は潔白な人を退けない」のだから、この試練から解放されるには、ヨブが潔白な人にならなければならないと主張しました。ヨブは、神様の前で誰が潔白であり得るのかと反論しています。神様に対して、私は無罪です、罰を下さないでくださいと主張できる人はいないということです。 私たちクリスチャンは、神様に対して自分の無罪を主張するよりも、神様の栄光をほめたたえ、神様の恵みに感謝することの方がはるかに素晴らしいことです。祈りの中核は感謝と賛美です。私たちは当然滅びに至るものでありながら、神様の憐れみによってかろうじて生かされているに過ぎないということを知ることが大事なのです。 神様は私たちの幸福を願っています。ですから、私たちはお互いにお互いの祝福と幸福を祈り合うことが無ければなりません。相手の罪に目を留めて非難し、相手の罪を攻撃するだけでは解決は見いだされません。キリストが解決策として採用した手段が自分が十字架で死んで人々の罪を赦し、和解の道を切り拓くことをヨブ記は予告しています。 キリストの十字架こそが神様の知恵の結集なのです。私たちは神様にとって御子の死とは何だったのか、自分と十字架の関係や、隣人と十字架の関係も十分に理解する必要があります。十字架の愛を体験的に理解することがクリスチャンの信仰生活の原点だからです。 祝福を祈ります。