今日の聖句8月26日(土)\(^o^)/ 「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。 1列王記19:7 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。 使徒4:29 ************************* 今週のテーマ:いやしの力 きょうの聖書:ヨハネ9:1-12 ヨハネの福音書9章2節3節4節 「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。 「未来を見る」 昨日はベテスダの池で行なわれたイエス様の癒しの御業を学びましたが、今日はシロアムの池での出来事です。ここでは耳を癒された人と同じようにイエス様はご自分の唾を用いて盲人の目を見えるようにしてくださった事が教えられています。シロアムの池とは「遣わされた者の池」という意味です。 目が見えない、耳が聞こえない、或いは内臓疾患とか、更に複雑な生活に不自由を来す障害を持って生まれる人がおられます。その原因は、昔も今も、また世界各地に、本人や親、あるいは先祖の罪であるという考え方があります。しかしイエス様はそれを否定して、この出来事を通してそのような問題は神様の業が起るためだと教えられました。 6年前、東日本大震災が起った後、その原因は日本人が犯した罪が原因であると言って日本の国を強くなじる人たちが外国から来たことがありました。しかし、先天的病気も、自然災害も関係者や先祖の罪が原因ではないのです。そのような諸問題を通して神様に祈り、神様の救いを頂くことが大事なことなのです。 イエス様の「神のわざがこの人に現われるため」という教えは、私たちの目を未来に向けさせ、イエス様も私たちの未来に目を注いでいるということです。今は盲目という辛い境遇だが、イエス・キリストとの出会いはこの盲人の未来に光をもたらすと将来の希望が述べられています。神を愛する者のためにはすべてが働いて益になるのです。 祝福を祈ります。