今日の聖句8月24日(木)\(^o^)/ 圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富がふえても、それに心を留めるな。 詩篇62:10 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。 使徒4:36-37 ************************* 今週のテーマ:いやしの力 きょうの聖書:マルコ7:31-37 マルコの福音書7章32節〜35節 人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるよう、願った。そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ」すなわち、「開け」と言われた。すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。 「耳も口も」 イザヤは「神は来て、あなたがたを救われる。そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく」と語り救い主の現われと救い主による救いの御業を予言しました。新約聖書の別の箇所で、同じように目の見えない人の目に唾で作った泥を塗って目を見えるようにされたことが記録されています。 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろうあ者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くしたアメリカ人のヘレン・ケラーというクリスチャン女性がいました。最後に日本に来たのは昭和30年でした。目と耳と口に障害を持ちながら苦難を乗り越えて人々に救いの手を延べていた偉人として有名です。 私たちは目も耳も口も不自由はありませんが、神様を見ることができず、神様の声を聞けず、神様に向かって話しかけることができないという点では障害のある人にとてもよく似ています。目の見えない人、耳の聞こえない人を癒して下さったイエス様は私たちにも同じ恵みを与えて、神様を信じ、神様と祈りによる交わりを回復させて下さったのです。 福音書の中でイエス様が行なわれた奇跡による癒しを信じない人もいますが、実は、私たちはイエス様から直接的に癒された人よりも更に大きな癒しの恵みを受けているのです。いつでも自由にイエス様を見上げて礼拝し、祈りをささげ、励ましのみことばを聞くことが出来ることの幸いを改めて感謝いたします。 祝福を祈ります。