今日の聖句8月3日(木)\(^o^)/ いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。 イザヤ26:4 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。 ルカ8:25 ********************* 今週のテーマ:隣人を愛する きょうの聖書:1コリント13:1-13 コリント人への手紙第一13章1節2節 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 「神の愛」 ここに書かれている「愛」という言葉はギリシャ語でアガペーという単語が用いられており、それは「神の愛」「神からの愛」「無条件の愛」と考えると理解しやすいです。私たちの存在の中に「神からの愛」が加えられると、「語る言葉」に意味あるものとなり、知識を持っていることが意味あるものとなり、また、それがあれば奉仕活動が麗しいものとなるのです。 それらの行いに神の愛がないとすれば、説教も、賜物や知識も、自己宣伝、自己誇示の道具にしかなりません。それは、神を喜ばせるものにはなりません。慈善活動や殉教でさえ、そこに神の愛がなければ、自己実現の道具となり、神様にとっては無益なものになってしまうのです。つまり、愛がなければ、神の心にかなうことができないのです。 どんなに良いことをしていても、神の愛を受けてそれを実行していなければ、神の期待に応えることができていないのです。前の章で賜物について語っていましたが、賜物や能力を磨き、それを、有効活用することだけを目的にしてしまうと、いつの間にか味気のない、競争と表面的な作業だけが残ります。 本来、賜物は「恵み」を表す言葉です。神様からの愛が伝えられるようにと与えられたものなのです。ですから、神の愛が日常生活の中にしっかり経験されることによってのみ、賜物を神の愛を分かち合うために用いることができるようになるのです。「神様の愛で私を包んでください」これが今朝の私の祈りです。 祝福を祈ります。