今日の聖句7月6日(木)\(^o^)/ これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行えば、だれがそれを戻しえよう。 イザヤ43:13 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。 ルカ1:51-52 ************************ 今週のテーマ:ヨナのしるし きょうの聖書:マタイ10:16-20 マタイの福音書10章19節20節 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 「事実を証言」 逮捕されて、尋問されるときどう答えようか、何を話そうかと心配することはない。と教えられています。パウロの弁明の記事が使徒の働きなどに詳しく掲載されています。パウロは自分が救われた証しをし、イエスがキリストであることを弁証して尋問に答えています。 釈放されるためにはどう話そうか、投獄されないためには何を話そうかなどと心配するのは止しなさいということです。そのように心配することは当局側の追求に同意していることになるのです。つまり、自分は逮捕されるようなことをしていると考えているからです。批判や、福音宣教を妨げようとする人たちの言葉に弁解などはしなくていいのです。 それより大事なことは、一人でも多くの人にイエス様を紹介し、愛と赦しの福音を宣教し、人々に救いを届けていくことです。弟子たちは町々村々に派遣されて、イエス様が中風の患者の罪を赦し、病を癒し、熱病を癒し、死んだ少女を蘇生させ、聞こえない人を癒したことなどを見たままを語り伝えたのです。 私たちも「証し」を持って福音宣教に出て行きます。癒された人は「イエス様が私を癒してくださいました。」と証しし、救われた人は「イエス様が私を救ってくださいました」と自分の身に起こった救いの事実を証言して、イエス様を紹介するのです。私たちの心に宿る聖霊様が聞く人の心に語って理解させてくださいます。 祝福を祈ります。