今日の聖句7月3日(月)\(^o^)/ 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。 エレミヤ20:9 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。 使徒4:20 ********************** 今週のテーマ:ヨナのしるし きょうの聖書: エゼキエル3:1-11 エゼキエル書3章9節10節11節 「わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石のようにする。彼らは反逆の家だから、彼らを恐れるな。彼らの顔にひるむな。」その方は私に仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに告げるすべてのことばを、あなたの心に納め、あなたの耳で聞け。さあ、捕囚になっているあなたの民のところへ行って、彼らに告げよ。彼らが聞いても、聞かなくても、『神である主はこう仰せられる。』と彼らに言え。」 「みことばを語る人」 エゼキエルはエルサレムで祭司の職にありました。バビロンに捕囚とされ5年ほど経過したとき、神様はエゼキエルにユダヤ人に説教するように命じました。神様はユダヤ人は頑固で鉄面皮であるのでエゼキエルの説教に耳を傾けないだろうが「わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石のようにする」と語ってエゼキエルを励ましました。 さらに神様はエゼキエルに「彼らが聞いても、聞かなくても、『神である主はこう仰せられる。』と彼らに言え」と語っています。あいまいな言い方ではなく、神様からの言葉を率直に語れということです。神様はこの時すでに巻物の形にしてエゼキエルの心を強め、信仰に養いを与えていました。 祭司であったエゼキエルが後に予言者として立てられたということですが、聖書の中では様々な職業の人が神様に召されて説教者として立てられています。その中には政治家もいますし、農家もいます。宗教家もいましたし、新約聖書では漁師や医師、徴税人もいました。 私たちはエゼキエルやパウロのような働きはできないかもしれませんが、周囲の人々にキリストを紹介し、教会の交わりに誘うことはできます。私たちはキリストの復活の証言者として大胆にみことばを証しすることができるのです。与えられた人生を勇敢に生きるものとされたいと思います。 祝福を祈ります。