今日の聖句6月12日(月)\(^o^)/ わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは、何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。 イザヤ51:12 心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。 1ペテロ3:14 ************************ 今週のテーマ:聖霊の実 きょうの聖書:ローマ8:12-17 ローマ人への手紙8章14節15節16節 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 「御霊に導かれる人」 罪の原理に縛られて生きるのか、御霊に導かれて生きるのかという話が続いています。自己中心という原罪から解放されるにはイエス・キリストの身代わりの死を我がためと信じて受け入れる以外には手段はありません。人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊とは、人の心を罪に縛り付ける力です。 イエス様の十字架はまさに人をその縛りから解放するためだったのです。解放された私たちの心には神様の御霊が宿っています。御霊様は日々の生活の中で私たちを罪の縛りから解放し続けていてくださいます。それで私たちはイエス様を「お父様」とお呼びして親しい交わりのある礼拝の日々を送れるわけです。 御霊様は限りなく謙遜な御方です。御霊様は常に御父と御子を証しし続けています。御霊様の声は御父を崇めよ、御子を讃えよと叫んでいます。決して自分を全面には出さないのが御霊様のご性格です。ですから御霊に導かれる人は御霊様に倣って生きるので自己主張はしません。 罪の原理の中に居る人は存在自体が自己中心なので、その生き方は自己主張の連続になってしまうのです。そういう私たちを救い、そういう私たちに新しい生き方をさせてくださるのがイエス様の十字架であり、内住してくださる御霊様なのです。御霊に導かれて生きていきましょう。 祝福を祈ります。