今日の聖句6月2日(金)\(^o^)/ 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばした 詩篇77:2 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。 2テサロニケ3:5 ************************* 今週のテーマ:この世の権力と神の主権 きょうの聖書:ダニエル3:8-18 ダニエル書3章16節17節18節 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」 「御名が崇められますように」 バビロニヤのネブカデネザル王は自分の権勢を全国民に知らせるために高さ30メートルに及ぶ自分の姿に似せた金の像を立てて全国民に礼拝させました。大多数の人々はこの金の像を拝んだのですが、ユダヤから捕囚とされてバビロンに来てネブカデネザルに仕えていたシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三青年は像を拝みませんでした。 カルデヤ地方の出身者たちはユダヤ出身の官僚となった三青年を妬んでいたので、三青年がネブカデネザルの像を拝まないことを告発しました。ネブカデネザルは規定に従って三青年を火が燃えている炉の中に投じました。通常の七倍の火力になっていたため三青年を炉に投じた役人は焼け死んだということです。 炉に投じられる前に三青年が言い遺したことばが今日の16節から18節のことばです。神様が必ず救い出してくれると信じるけれども、たとえ、火の中から救出されなくても、王が立てた金の像を拝むことはしないと言い切っています。偶像は礼拝しないという信仰が三青年の心の中に定まっていたのです。 私たちは常日頃から、神様の主権を最大限に尊重する信仰の姿勢を維持していることが必要です。私たちの日常の祈りの中に「御名が崇められますように」という主の祈りの一節があります。この祈りが「神様の主権が最大限に尊重されますように」という祈りと等しいのです。自分自身が御名を崇めて生活するクリスチャンでありますようにという願いを込めた祈りなのです。因みに、三青年は火の燃える炉の中から神様によって救い出されました。 祝福を祈ります。