今日の聖句5月29日(月)\(^o^)/ 主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。 詩篇5:12 私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル4:16 ************************ 今週のテーマ:この世の権威と神の主権 きょうの聖書:1サムエル8:1-22 サムエル記第一8章6節7節8節 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。」 「神様の主権の下で」 サムエルが老齢になったとき、サムエルの子が士師の座に就任していましたが、彼らは父親を模範にせず、収賄によって裁判を曲げていました。そこで民はサムエルに、イスラエルにも他の国のように国王を立ててくださいと頼みました。民はイスラエルが団結して隣国と戦うためには強い国王が必要だと考えたのです。 イスラエルは神様による統治ではなく、人間による政治を求めたのです。それは神様にもサムエルにも受け入れがたいことでした。現実に人を守り、人を生かし、人を助けているのは神様ご自身であるという事実から目をそらしてしまった結果です。モーセやヨシュアの指導のもとで、神様に守られ助けられていたことを忘れてしまっているのです。 ところが、イスラエルの民は新しい政治体制によってイスラエル国に変革がもたらされると考えてしきりに国王を求めたのです。ここにある根本問題は神様への不従順です。この問題は新政権に移っても継続されてしまいますから問題は解決しません。イスラエルに必要だったのは規則による統一ではなくて信仰による一致だったのです。 イスラエルが神様の主権に従っていれば、想像を超えた安全と繁栄を享受できたはずです。私たちの場合も神様の導きを拒否して信仰の伴わない価値や基準に従って生活するなら不安と混乱に陥ってしまいます。私たちの生活を神様の主権の下に戻すことが悔い改めなのです。今日も私が神様の主権の下で生きる者とされるようにお祈りします。 祝福を祈ります。