今日の聖句5月24日(水)\(^o^)/ あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる 申命記7:9 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。 ヨハネ17:3 ************************* 今週のテーマ:キリストの体なる教会 きょうの聖書:ローマ12:3-18 ローマ人への手紙12章3節4節5節 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 「思い上がってはいけません」 キリスト教会に於いて、自分を過大評価してはならないことは特別に大切な教えです。パウロは、まず個人個人への勧めとして自分を過大に評価しないようにと警告しています。自分をありのまま、他人の目が評価しているように認めることはなかなか難しいことです。ある意味での自己訓練を要します。自分を大きく見せる必要はないのだということをしっかり知る必要があります。 「偉くなる」という発想や「前に立ちたい」「目立ちたい」「思い道理にしたい」という思いが強いと、必要以上に自分の能力や力を誇示したくなるものです。それを押し出して自分を認めさせたいという意識に駆られてしまいます。その結果、いつの間にか、人を軽蔑したり、競争意識で見下したり、関係がギクシャクしてしまうことが多いのです。 神様に恵みをいただき、憐れみをいただき、それによって生かされ、赦された罪人であることを覚えておくことは時に必要です。卑屈になる必要はありませんが、とにかく、神様の助けも愛も不要だと思ってしまうほどに自己過信してしまうことのないように警告が発信されているのです。 霊的な賜物の行使にしても、それは自分が管として用いられているだけのことであって、その霊的な賜物は私たちが所有するものではなく神様から託されたものであるに過ぎないのです。威張る理由などまったくありません。謙遜に「奉仕させていただける」ことを喜べればよいのです。自分がキリストの体の一部分であることを知り、キリストの体を立てあげることに徹して生きていくことを肝に銘じる必要があります。 祝福を祈ります。