今日の聖句5月17日(水)\(^o^)/ 見よ。主は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。 イザヤ62:11 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。 2コリント1:20 ************************* 今週のテーマ:みことばを語るもの きょうの聖書:アモス7:10-17 アモス書7章14節15節 アモスはアマツヤに答えて言った。「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。ところが、主は群れを追っていた私をとり、主は私に仰せられた。「行って、わたしの民イスラエルに預言せよ」と。 「アモスへの召し」 アモスは北イスラエル王国でヤロブアム2世が王位にあった頃活動した預言者です。ヤロブアム2世の死後およそ50年で北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされました。アマツヤはベテルにあって北イスラエルの祭司長でした。アマツヤは神様のみことばに聞くよりも自分の利益を優先する人でした。 アモスが国王や祭司長の罪を暴露し、国がアッシリヤに滅ぼされると告げていたのでアマツヤは苦々しい気持ちでアモスを南ユダ王国に追い出そうとしています。それに対してアモスは、「主は私に仰せられた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と」と言って自分を予言者として任命されたのだと反論したのです。 もともとアモスは一般人であり、羊を飼い、イチジク桑を栽培する農家でした。預言者としての訓練や教育を受けていなかったアモスでしたが、「わたしの民イスラエルに預言せよ」神様の召命に信仰によって応じました。従順であることは神様のしもべとなる事の最大の要件です。 神様は人を見定めてご自分の御働きのために用います。アマツヤのように、神様のみことばよりも自分の利益を優先する人は用いられることはありません。神様のみことばに従順に従う人が神様の手足となって奉仕できるのです。私も、改めて自分がどれだけ謙遜で従順であるか反省いたします。 祝福を祈ります。