今日の聖句5月16日(火)\(^o^)/ 悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。 詩篇12:5 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 ルカ18:7 ************************* 今週のテーマ:みことばを語るもの きょうの聖書:エゼキエル2:8-3:11 エゼキエル書3章10節11節 その方は私に仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに告げるすべてのことばを、あなたの心に納め、あなたの耳で聞け。さあ、捕囚になっているあなたの民のところへ行って、彼らに告げよ。彼らが聞いても、聞かなくても、『神である主はこう仰せられる』と彼らに言え。」 「救いの主体は神様」 神様はバビロンで捕囚にされているユダヤ人をエルサレムに帰還させ、信仰と礼拝の民として回復させようとしてエゼキエルをバビロンのユダヤ人社会に派遣します。エゼキエルにはユダヤ人に何を語ればいいのかわかりません。神様は、神様がエゼキエルに語るべき言葉を授けるので、その言葉をそのまま語って「神である主はこう仰せられる」と言えと指導しています。 エゼキエルには、ユダヤ人は心が頑固なので、自分が何を言っても聞き入れることはないだろうという恐れがあります。8節で神様はエゼキエルに「わたしはあなたの顔を、彼らの顔と同じように堅くし、あなたの額を、彼らの額と同じように堅くする」と言われています。 ユダヤ人が頑固なら、それ以上の頑固になって怯まずに神様のことばを伝えなさいと励ましているのです。イスラエルを捕囚にしたのも、イスラエルを回復させるのも神様ご自身の御働きです。エゼキエルは神様のみことばを受け取って、それをユダヤ人たちに伝えればそれで良いのだということです。 私たちにもエゼキエルと同じように、神様の愛から断絶されている人々を神様の愛の世界に立ち帰らせるために派遣されています。人を救うのは神様であり、人を救いに導くのは私たちの言葉ではなく、神様のみことばですから、相手が聞こうが、無関心であろうが、みことばを宣べ伝える働きは止めてしまってはいけないのです。 神様が私たちを道具にして人々を救うのです。 祝福を祈ります。