今日の聖句5月10日(水)\(^o^)/ 貧しい者をあざける者は自分の造り主をそしる。人の災害を喜ぶ者は罰を免れない。 箴言17:5 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。 マタイ18:10 ********************* 今週のテーマ:一つとなるため きょうの聖書:1コリント12:12-26 コリント人への手紙第一12章12節13節14節 ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。 「教会と人体」 キリストを信じた人たちは、神の家族の一員として生きることになりますが、その際に、各自の役割や能力、賜物はそれぞれに異なっています。地域における小さな群れとしての教会の中でも、世界大の見えない教会ということでも言えます。各自が、その一員としての分を担うことと、他の人と異なる役割を果たすために互いに支えあう意識が必要なのだとパウロは教えています。自分と他人の違いを認め、互いに仕え合っていくことが必要です。 それはちょうど人間のからだがうまく機能しているのと同じように、各部分が脳からの指令を受けて、動き、からだ全体の健康に保たれるのと同じことなのです。これは教会においては、とても大切なことです。また、どんな組織でも、円滑な運営のために学習されるべき内容だと思います。神様が私たちに与えてくださった役割、置いてくださった場所を喜んで受け入れたいと思います。 これは、まさにキリストによって集められた人たちの群れの中に存在すべき意識であり、自覚されるべき内容です。互いに違いを認めつつ、体を構成している存在であることを喜びとし、支援的な存在としてそれぞれに役割を果たすのです。自分が所属する組織、家庭、集団の中にぜひ存在してほしい意識です。 私たちの体には不要な部分は全く無いのです。そのように、教会ではすべての人が存在を祝福されなければなりません。他人を批判し、他人を否定し、他人とぶつかり合う人は、結局、キリストを批判し、キリストを否定し、キリストとぶつかり合っているので、遂に自分の居場所を失う結果になりかねません。イエス様が私たちをありのままで受け入れてくれたことを思いだします。 祝福を祈ります。