今日の聖句5月9日(火)\(^o^)/ わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。 ホセヤ8:12 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。 ガラテヤ1:6 ************************* 今週のテーマ:一つとなるために きょうの聖書:エペソ2:11-22 エペソ人への手紙2章14節15節16節 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。 「敵意の廃棄」 ユダヤ人には選民主義という考え方があり、それは、自分たちは神によって選ばれた特別な存在であるという自尊心です。彼らは、ユダヤ人以外のすべての民族を異邦人と呼び、蔑んだのです。その為に選民と異邦人の間には大きな溝があり、敵対意識も生まれていたのです。キリストの十字架の出来事はこの敵意を廃棄するものでした。 さらに、ユダヤ教の律法は神様とユダヤ人の間に打ち込まれたくさびのようなものであり、ユダヤ人はこの律法に縛られて神様との一致を阻まれていました。キリストの十字架は御父とユダヤ人の間と、ユダヤ人と異邦人の間に和解と一致をを生み出すものでした。 敵意の廃棄という言葉は、当時の社会で「異邦人」と呼ばれていた人たちにとって、どれほど大きな喜びだったでしょう。ユダヤ人から蔑視されていた異邦人クリスチャンに対する大解放の宣言です。自分とは、まったく関係なかった世界、自分には関係ないと思われていた救い、異邦人たちにとっては、欲しくても手を出すことができないものと感じていたと思います。 今まで、不成立で当然だと思っていた、神様との関係や恵みによる救いが異邦人クリスチャンたちにも提供されているとパウロは教えたのです。このメッセージは、異邦人社会にとっては、まさに希望の言葉だったと思います。14節で「キリストこそ私たちの平和であり」とパウロは断言しました。神様とと人間との間に平和をもたらしたばかりでなく、異邦人とユダヤ人という差別も撤廃し、敵意も取り除いてくださったのだというのです。