今日の聖句5月8日(月)\(^o^)/ 私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。 詩篇118:17 命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。 使徒16:24-25 ************************* 今週のテーマ:一つとなるために きょうの聖書:ヨハネ17:20-26 ヨハネの福音書17章22節23節 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。 「一つとなるため」 使徒や弟子たちの伝道によってキリストを信じるようになる、全てのクリスチャンのためにイエス様が祈っている祈りの言葉です。三位一体の神様が互いに愛し合いつつ、一つであるようにクリスチャンも神様との深い愛の交わりの中で一致し、一つになっていくようにと祈ってくださっています。 三位一体の神様は御父と御子と御霊のお三方で一つの神様ということです。この御方は信じるクリスチャンの心を住み家とし、信じる人の心に愛を与え、愛を植え付けていきます。「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を彼らに与えました」と言われていますが、ここでいう栄光とは愛のことです。御父が御子にお与えらになった愛を、御子が、御子を信じるクリスチャンにお与えになるのです。 神様の愛によって一つにされるのですが、同じ愛の神様を信じていれば、自動的にクリスチャンは一つになるというわけにはいかないようです。それはクリスチャンになったといえども、その心の中に自己中心性があるからです。人間の自己中心がキリストを十字架に釘づけているので、問題はとても根深く、イエス様としても祈る以外に打つ手がないというほどのものです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)パウロもこの信仰によって神様と一つになるということを味わっています。 祝福を祈ります。