今日の聖句5月5日(金)\(^o^)/ あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。 申命記15:7 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。 1ヨハネ3:17 ************************* 今週のテーマ:この世にあって きょうの聖書:ヨハネ16:25-33 ヨハネの福音書16章32節33節 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 「勇敢でありなさい」 ここで、14章15章16章を通して語られたイエス様の説教が一段落します。最後の晩餐後のこの説教は、弟子たちに平安を持たせるために語ったのだと締めくくられました。後日、平安をもって再起できるようになるためだということです。17章には説教後のイエス様の祈りの言葉が記録されています。 この直後に逮捕、裁判、むち打ち、嘲弄、ドロローサ、そして処刑へと進んでいきます。それを見て、弟子たちは動揺し、弟子団は分裂するだろうが、弟子団が後の日、復活と、聖霊降臨を経て、信仰をもってこの一連の受難の意味を深く理解し、福音宣教に立ち上がるために語られたのです。 弟子たちの前途には、イエス様の受難と同じ性質の艱難が待ち受けています。サタンの支配する「この世」に対して福音を語っていくことは、この世の側から言えば体内に異物が入り込んで来るようなもので、当然拒絶反応が起こります。それはキリスト教排斥、クリスチャン迫害という形で起こるので、その艱難に対して勇敢に立ち向かいなさいという激励のメッセージです。 「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5:4-5)この、世に勝つ信仰を持たせるためにイエス様は十字架の意味を懇々と語られたのです。福音を宣教するにはイエス様の十字架は私のためだったという、個人的なキリストへの信仰が不可欠です。 祝福を祈ります。