今日の聖句5月4日(木)\(^o^)/ 平和をあなたの管理者とし、義をあなたの監督者とする。 イザヤ60:17 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。 ヤコブ3:18 ************************* 今週のテーマ:この世にあって きょうの聖書:エペソ5:1-5 エペソ人への手紙5章1節2節3節 愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。 「神にならう者」 神にならう者となりなさいと教えられています。神様にならうということはクリスチャンの生涯の目標です。それは、三位一体の神様にならうということであり、お三方の中にある完全で完璧な一致と愛にならうことを目指すということです。三位一体の神様は完全無欠な一枚岩です。神様はキリスト教会をそのような完全な一枚岩にしていこうとしているのです。 それはイエス・キリストを救い主として信じるというだけでなくクリスチャン同士が愛によって堅く結びつき、一致と協力でキリストの十字架による福音を広く世界に広めていく働きに邁進することです。イエス様は日々十字架を負って私に従いなさいと招き続けておられます。 一方、ここには、キリスト教会に対して厳しい禁令が出ています。それは「不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません」という命令です。不品行とは姦淫のことです。不品行とは品のない行ないという意味ではありません。旧約聖書では偶像礼拝と姦淫を同じ事として扱っています。 昔の日本語の「愛」という言葉には「自分の欲望への執着」という意味がありました。自分の欲望に執着することが三位一体の神様への背信行為になるのです。自分の欲望に執着することを別な言葉で言うと貪欲な生き方となります。これは悔い改めなければならない大きくて深い罪です。教会内にはそのような罪は絶対にあってはならないのです。 祝福を祈ります。