今日の聖句4月27日(木)\(^o^)/ 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。 イザヤ43:19 それ(神の国)は、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。 ルカ13:19 ************************* 今週のテーマ:キリストの死と復活にあずかる きょうの聖書:1コリント15:12-19 コリント人への手紙第一15章13節14節15節 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。 「復活という希望」 コリントの教会の中に「死者の復活などない」と考え、それを主張している人たちがいたようです。パウロは、神は死を完全に支配しており、死は必ず乗り越えられるものとして教えています。神様の前で、私たち人間の肉体の死は、すべての終わりではないのだとパウロは主張しているのです。 キリストの十字架の死を事実として信じることは難しくはありません。人は誰でも死ぬからです。しかし、初代教会の時代から、キリストは、神の御子であり、救い主なので「死に束縛されたままではありえない」という信仰がありました。死に束縛されたままではあり得ないとすれば、よみがえるというシナリオが残ります。 12使徒でさえ、信じることが難しいものでした。復活のキリストに出会ったという女性の報告を聞いても真剣に取り扱っていませんし、そんなことあり得ないと言わんばかりの態度でした。ですから、復活という出来事を信じることは、決して簡単なことではないのです。 パウロは、自分の歴史の中で、よみがえったキリストと出会い、劇的な信仰の転換を経験しています。パウロにとっては、否定できない大事な出来事であり、自分を変えてくださったのは、復活したキリスト以外にいないと信じているのです。彼にとっては、それ以外を信じることのほうが難しかったかもしれません。私たちは復活という希望によって救われるのです。 祝福を祈ります。