今日の聖句4月26日(水)\(^o^)/ あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返ら地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。 詩篇71:20 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 ヨハネ14:1 ************************* 今週のテーマ:キリストの死と復活にあずかる きょうの聖書:1コリント15:1-11 コリント人への手紙第一15章9節10節 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。 「神の恵み」 パウロの自己紹介が書かれています。自分は教会の迫害者であり、本来、使徒などと呼ばれる値打ちのない者だけれど、神の恵みによって立てあげられてきたのだと告白しています。これはまさにパウロの実感であり、パウロの実体験です。「恵み」とは、善行の報酬としていただくものではなく、神からの一方的な賜物として与えられる神の善意、いつくしみ、祝福です。 パウロはサウロと名乗っていた頃、信仰によるきよめも、死者の復活も信じることができずに悩んでいたのだそうです。そういう心境の中で、ダマスコ方面に向かって避難するクリスチャンを迫害するために馬で追跡していたときに、復活したキリストが現われてサウロにクリスチャンを迫害することは神様を迫害することだと告げたのです。 復活の主を目の当たりにしてパウロの不信仰は払拭されてしまいました。三年間にわたって旧約聖書を読み直し、復活の主によって整えられたサウロはパウロという新しい名前と共に福音の宣教者として再起したのです。それで、「神の恵みによって、今の私になりました。」と証ししています。ここに、謙遜なパウロを見ることができます。 卑屈にならず、冷静な判断をしながら、今の自分があるのはまさに「神の恵み」によるなぁと告白できる心はとても麗しいものだと思います。私は、いろいろな仕事をしてきましたが、牧師的な使命感や生き方は変わっていないことに最近気がつきました。説教者、牧師と呼ばれ、その役目をかろうじて果たしつつ、すでに42年も経ちました。これはただ、復活の主の恵みがあるからこそ継続させていただけていることなのだと思います。 祝福を祈ります。