今日の聖句4月14日(金)\(^o^)/【受難日】 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。 伝道の書12:1 イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。 ルカ23:42 ************************ 今週のテーマ:主の受難 きょうの聖書:マルコ15:1-41 マルコの福音書15章25節26節27節 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 「神様の愛と義」 今日は受難日です。マルコ伝15章にはピラトの判決から十字架と議員ヨセフへのイエス様の遺体の引き渡しまで御受難の様子が詳しく記録されています。この十字架刑はもっとも苦しい死刑の方法です。生木の十字架にばたばたする死刑囚を押しつけ、両手と両足 を犬釘で打ちつけ、やがて垂直に建てます。体重が両手と足の3点にかかり、じりじりと裂けていきます。 体をゼリーのようにふるわせながら、その痛みと戦います。3日、10日と全身の激痛に気さえおかしくなり、渇いて飢えて死んでいくのです。あまりに残虐なので、ついにローマでは禁止されローマの市民権を持たない外国人や奴隷の極悪犯にだけ執行されました。 神様はすべての人に定められている罪の報いとしての死を、身代わりに独り子が受け、それによって罪の赦しを与えるためのさばきの方法として、最も恐ろしい死刑方法の十字架刑にされました。もともと旧約時代には、長い間、罪の身代わりとして小羊や牛などの動物を祭壇に屠って、その血を流し、神様へのなだめの供え物としてきました。しかし、これはすべて本番としての独り子キリストが十字架につけられる型であり影でした。 ついに時が満ちて、神様の御子であるイエス・キリストが、神様の小羊として、十字架にかかり死んでくださったのです。私たち一人一人を贖うために、私たちが死ぬべき死を身代わりになって死んでくださったのです。ここに神様の愛と義は完全に全うされたのです。十字架は神様の愛と義の現われなのです。 祝福を祈ります。