今日の聖句4月11日(火)\(^o^)/ わたしは、あなたの若かった時にあなたと結んだわたしの契約を覚え、あなたととこしえの契約を立てる。 エゼキエル16:60 この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。 使徒2:39 ************************* 今週のテーマ:主の受難 きょうの聖書:マルコ12:41-44 マルコの福音書12章42節43節 ひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 「100%の献身」 今日は受難週の火曜日で、イエス様が律法学者と議論し、世の終わりその他のことについて数々のたとえを語られたことが記録されています。イエス様は神殿から出て行く前に賽銭箱の前に座って人々が献金する様子を眺めていました。その時一人のやもめが現われたのです。イエス様はその女性の献金の姿をとても高く評価しました。 それは有り余る中からの献金ではなく、生活費のすべて全額を献金したからです。私たち日本人なら銅貨二枚といえば20円位を想像します。神殿で商売をして金儲けをしていた人たちとは大違いです。私たちが収入の一部を献げて満足しているとしたら有り余る中からごくわずか献げた人に似ているのだと思います。 私はこの記事を読むとき、エリヤに求められてパンを焼いて提供したサレパテのやもめ女を思い出します。この女性も最後に残った一握りの小麦粉を自分でも自分の子どもにも与えず、エリヤに与えてしまったのです。その結果は飢饉が収まるまでビンの油も瓶の粉も無くならなかったということです。 この時、イエス様はご自分のいのちを世界の救いのために神様に献げようとしています。それで、御父への信仰の従いと、その気持ちとをこの有り金全部を献げた女性と共有出来ているということです。それは100%の献身を体験している者同志にだけ理解できることかも知れません。聖書では十分の一が基準ですが、収入に対する献金の割合は高い方が良いのです。 祝福を祈ります。