今日の聖句4月8日(土)\(^o^)/ 彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。 アモス6:6 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。 ガラテヤ6:2 ************************* 今週のテーマ:永遠のいのちのパン きょうの聖書:ヨハネ6:47-59 ヨハネの福音書6章54節55節56節 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。 「十字架といのちのパン」 イエス・キリストがいのちのパンです。イエス・キリストを信じる人に永遠のいのちが与えられます。それは、光り輝く神様の愛に包まれて生きる喜ばしい生活です。生きている限り嫌なことや辛いことが無くなることはありませんが神様の大きな愛は私たちを丸ごと包み込むのですべてが消化されてしまうのです。 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者」とはなんと激しい言葉でしょう。ギクッとするような恐ろしさを感じます。もちろんイエスさまの死を言っているのですが、「人の肉を食べる」というのは敵対的な残忍行為です。「人の血を飲む」というのも大変なことです。旧約聖書でも強く戒められていることです。 決して人間が人間の血を飲むことはありません。人間の血を飲むのは、必ず、剣、槍、あるいは弓の矢です。もしかすると野獣が飲むかもしれません。非常に残酷なむごたらしい死を表すのに使う表現です。イエス様がわたしの肉を食べ、「わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持つ」と言われるのはイエス様の非常にむごたらしい死、十字架の死のことを言っているのです。 私たちがそれによって永遠に生きるパンとはイエス・キリストの十字架による贖いの死の事です。「肉を食べ」「血を飲み」「パンを食べる」とは単語そのものの意味ではなく、私たちがイエス様に連なることであり、イエス様を丸ごと信じることです。事実、私たちの神様とイエス様への敵対がイエス様をこの残忍な死へ追い込んだのです。キリストの十字架をわが事として受けとめることです。 祝福を祈ります。